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グレッグ・イーガン「白熱光」:銀河の中心での発見の物語

「白熱光」は、ハードSFの第一人者として知られるグレッグ・イーガンの邦訳最新作である。Kindle版を読んだ。面白かった。

小説は偶数章と奇数章で別の物語が展開され、章が進むにつれ2つの物語が接近していくという手法を用いている。

奇数章では、イーガンの小説でいうと「ディアスポラ」と似た世界が舞台になっている。人類を含む知的生物の多くはソフトウェアとしての体と物理的体を時と場合に応じて使い分けており、恒星間移動は銀河中に張り巡らされたネットワークを利用して人格ソフトウェアを送信することで行われる。送信時に人格データ は保存されないので、移動するたびに人格が分裂するという心配は無い。ただし、不足の事態に備えて覚醒していないバックアップは保存されており、合図があれば覚醒されるようになっている。こういうわけで、銀河系の生物は宇宙の終わりまで続く不死状態を手に入れてしまっている。

奇数章の主人公ラケシュは、「まだなされていないことはない。まだ発見ずみでないものはない」といって悩んでいる約一千歳の「若者」である。仲間と共に銀河ネットワークの中継ノードに暮らしており、新しい知識を持った旅人が現れるのを96年間待ち続けている。この時代、銀河は大きく2つの世界に分けられており、銀河の中心部に存在する孤高世界は、ラケシュたちが住む銀河の周辺部の融合世界との交流を拒んでいた。ある日、ラールという謎の人物がラケシュのもとを訪れた。孤高世界を見てきたという。孤高世界には、まだカタログに載っていないDNA型生物が存在することを知ったラケシュは、友人のパランザム(強気な少女。ソフトウェア生まれ。ラケシュは人類の子孫のDNA生まれ)を連れて孤高世界へと向かう。

偶数章では、適切な状況下に置かれた知的生物が電磁気学ニュートン力学の発展を通り越し、一世代で一般相対性理論を発見するまでの様子を描いている。 「適切な状況下」というのは 当然、人間の生活する状況とは全く異質なものである。銀河の中心、星々が密集し消滅と生成を繰り返す危険な領域、そこにスプリンターがある。スプリンターは、高重力の「ハブ」の周りを公転する 楕円形の小惑星である。スプリンターの中のトンネルに生息するのは、昆虫に似た社会性の動物で、社会の役に立つ労働を行うことに本能的な喜びを感じる。題名の白熱光とは、ハブの周りにある天体からの光が重力に引き寄せられてスプリンターに到達したものである。高重力のハブの周りを回っている ために生じる潮汐力と、高速で自転するために生じる遠心力が合わさり、スプリンター内部は地域によって重力の向きと大きさが異なり、公転円周を貫く中心部だけが無重力状態になっている。昆虫型生物はこのような環境で大きな危機に直面し、そのたびごとに科学技術を発展させて立ち向かっていく。

偶数章の主人公はロスという女性である(虫なんだけどね)。ある日、労働がもたらした帰属意識に満足しながら休息場所を探していると、ザックという老人に出会った。ザックはスプリンターの中心部で物体の「重さ」を支配する物理法則を研究しており、スプリンター全体の重さの地図を作るというプロジェクトを一人で行なっていた。 好奇心からザックに協力したロスは、ザックと共に理論を発展させていき、スプリンターが円周状の軌道をまわっていることを突き止める。ロスとザックが仲間を集め、空間と時間と重さの関係を支配する幾何学をみつける巨大事業を行おうとしていた矢先、スプリンターは光り輝く謎の物体と衝突し、軌道が不安定になってしまう。このときから、ロスとザックの物理学を応用してスプリンターを安定な軌道上に動かそうという試みが始まった。それまで慣習化された労働を 行なってきたスプリンターの住民に変化がおとずれ、科学を進めて新しい社会を築こうとする若い世代の天才たちが次々と現れ始める。摩擦熱によって光を発生 させる装置、光と鏡によって通信を行う装置、時計などが発明され、社会は急進的なスピードで発展していく。

奇数章で描かれるのは、銀河の中心部を舞台としたラケシュたちの冒険であり、偶数章はロスを中心とした人々による科学的知識の発見の物語である。ラケシュたちはスプリンターに似た天体をみつけはするものの、ロスの物語とラケシュの物語が直接交わることはない。しかし、2つの物語の関係は終盤で明かされ、孤高世界の起源や、なぜ孤高世界はラケシュたちを読んだのかについての謎が解かれる。最後に伏線を一気に回収するところが、この小説で最もセンスオブワンダー(=SFで描かれる世界への驚異を伴った感動)を感じる箇所だった。

 正直、ロスたちが頑張って考えた理論は全く理解出来なかった。数学的に高度な内容だというのももちろんあるが、何より複雑な位置関係が文章で説明されるので、想像力がついていけなかったのが大きい。ただ、「こいつら(ロスとザックと仲間たち)みんな頭いいんだなあ」と感心するばかりだった。とりあえず、なんとなく理論が正しそうに思えたらよいのではないだろうか。もちろん、通な読者は文章から数式や図を書き起こして、理論的に検証するという楽しみ方もあるのだろうけど。

細部の描写でおもしろいなと感じたのは、ラケシュたちが反射望遠鏡をたくさん作って、それらを宇宙空間で広げて配置することで、全体として巨大な望遠鏡を作ったところ。この望遠鏡で数光年離れたところの全長600メートルの小惑星を発見してしまう。

あとは、異星人の生殖方法。男は植物のように種を体の内側に作るのだが、種が熟すとそこから出る毒素によって耐え難い苦痛を感じる。その苦痛を取り除くには女が持っているハサミのような前脚が使われるという仕組みである。女は種を刈り取ったあと自分の体内で育てる。このとき快楽を多少は感じるが、男の種を刈り取る理由はむしろ哀れみによるものが大きいらしい。

この小説の異星人は人間とかなり似ていて、異質さが感じられるのは、労働による帰属意識とこの生殖方法ぐらいである。異星人のそういう描き方は、「龍の卵」というSF小説でのチーラに近いと思う。

全体として、時間的にも空間的にも圧倒的な「遠さ」を感じた。こういう現実離れした雰囲気に恍惚とするのが、この小説の楽しみ方だろう。

 

最後にグレッグ・イーガンについて少し。イーガンはSF作家の中でもドが付くほどのハード路線を貫いており、読みこなすには理数系科学の相当な知識を要求される。僕自身は理系だが、情報系専攻であるので(言い訳)、量子論相対性理論などが絡むともうついていけなくなる。だから、イーガン作品ではコンピュータサイエンスに大きな重点がある「順列都市」が一番理解しやすかった。

しかし、専門知識がなくてもイーガンの作品はおすすめできる。なぜなら、人間が抱く根源的な問題を扱っている作品が多いからだ。脳の快楽中枢をソ フトウェアにより制御することで自分が持つ価値観を自分で決める話(「しあわせの理由」)や、脳を破壊的にスキャンして意識をバーチャル世界にアップロー ドす るとき、ある種の夢をみるが、それが臨死体験に似ており、ならば意識のアップロードは死と何が違うのかという話(「移相夢」)などはテクノロジーによって 自分自身の精神を操作可能になった状況におけるアイデンティティの問題が取り上げられている。極端な例を想定して思考実験を行うのだが、科学的実現可能性を制約とすることで、実験の尤もらしさが増す効果を生んでいる。

イーガンの長編で邦訳されたものは「白熱光」の他に、「順列都市」、「宇宙消失」、「万物理論」、「ディアスポラ」がある。「順列都市」では人類がソフトウェア化されはじめ、物理的世界と仮想世界が共存する過渡期の世界が描かれている。「宇宙消失」は量子論観測問題を扱っている。「万物理論」は宇宙に存在する4つの力を統合する、物理学の究極的理論を発見する物語である。「ディアスポラ」では、ソフトウェア化された人類が銀河系を超えて宇宙全体に離散していく壮大な話が 語られる。